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読書日記11★蒼穹の昴の末尾

続きの続き☆清朝は

7代嘉慶帝~1820)の後に

宣宗道光帝(~1850)

外患の苦難の時代の幕開けで、英国に絹・陶器輸出し、代わりにインド産アヘンを売りつけられて、銀を持ち出さたあげくの1840年アヘン戦争で、イギリスに香港を99年租借され、港を5箇所開する。賠償金支払いと治外法権の条約を、英米仏との間に結ばされる。

その子、9代文宗咸豊(かんぽう)帝(~1861年)は、アロー号事件でイギリスに虐められ(第二次アヘン戦争)30歳で、熱河の離宮で病没と言われてるが、
その子の同治帝(~1875年性病で死んだという)同様、
じれたやり手の側室、西太后に毒殺された説もあり。

8代道光帝と2代飛ばして、孫の

11代徳宗光緒(こうしょ)帝は、西太后の甥で、4歳で即位、改革を試みて
(戊戌変法)、保守派に反撃されて、西太后に幽閉されたのが28歳、
10年後に西太后が亡くなる同時期におそらく毒殺される。
生きてると、諸外国に利用されると危ぶんだか?
気の毒な方です。1900年義和団事件で、愛妻の珍妃が謀殺されてます。

そして、最後の皇帝宣統帝溥儀の治世は、
諸外国の租界あり、外国軍の進駐ありで、清朝の終焉。

写真は、道光通宝と、光緒通宝。
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読書日記11☆蒼穹の昴のイロイロ

続き☆

太祖ヌルハチ(~1926年)は、
1616年(万暦44年)に女真族のハーン(帝位)に就いてます。国号は金
日本では前年・1615年に、大阪夏の陣で徳川が戦国時代に終止符・・。

ホンタイジ~1643年
フーリン順治帝~1661年北京入場・国号は清
聖祖康熙帝~1722年

世宗雍正帝~1735年の後に

6代高宗乾隆帝~1799年が現れて
好景気・清朝最盛期となります。

最近、独立求めて中共政府にテロ仕掛ける、新疆ウイグル自治区から、雲南省・
ビルマ、台湾にも、乾隆帝は遠征して、中国史上の最大版図となってます。

収めきれない広大な版図を、力衰えた中共政府が、ここ迄領土だと言うのは、
土台無理があるわけです。

写真は、乾隆帝の治世の通貨と、
その子の仁宗嘉慶帝(~1820年)通貨。




読書日記11[蒼穹の昴]清朝の事始め

満州の女真族が、山海関を超えて、中原に至り北京に入って、
明の最後の皇帝は、自殺して、清朝が始まる。
2億の漢族を、30万人の女真族が統治する。
弁髪や,華美な服が特徴。

フーリン(順治帝)は、その時7歳で、祖父のヌルハチが満州に覇を唱え、
父ホンタイジ(皇太極)は、若くして亡くなり、その兄弟の伯父叔父達に支えられ、
万里の長城を超え、入城し帝位につく。

愛新覚羅(あいしんぎょろ)は、文字を持たず、7歳のフーリンが一生懸命、
漢字(漢族の文字)を練習して書いた文字の扁額が、
紫禁城の皇帝の玉座の側に飾ってあります。

写真は、順治通宝と、その子の清朝を興隆に導いた賢帝・康熙帝の康熙通宝。
古銭で売られていたのを買い求めたのが、我が家にありました。


読書日記10 [終わらざる夏]浅田次郎

北方領土返還の当事地域、国後島(くなしりとう)択捉島(えとろふとう)の北に、更に千島列島(クリル諸島)が続いて、点在する島々の最北端の幌筵島(パラムシル島)には、第91師団が、更にその東の小さな島、占守島(シュムシュ島)に、第73旅団と満洲から転回させた無傷の戦車連隊が駐屯しており、その師団と戦車連隊が、8月18日から21日迄、ソ連軍と交戦する話が、浅田次郎著「終わらざる夏」・・

スターリンから、敢えて日本の降伏を知らされないていない、対岸のカムチャッカ半島のロバトカ岬のソ連兵から攻撃を受ける、その4日間の凄惨な戦いを描く。

講和に備えて、アメリカと言葉を通じる英語通訳として45歳の徴兵ギリギリ年齢で応召された、翻訳を生業とする家族思いの父親片岡と、一家の働き手の応召を免れられるよう偽診断書を書いた岩手医専卒の菊池医師、そして、3度目の応召の熊という、父なく育った性根の優しい、母親思いの暴れ者の3名が占守島の守備につき、ソ連と戦禍を交え、片岡と熊は凄惨な戦死を遂げ、ある者はシベリアで衰弱死、大本営参謀だった若き芳江少佐は自責の念から事故を装って死に、菊池医師が看取る。

古地図と古文書を読むのが10代から趣味だった碩学で、16歳から自活し、自衛隊に19歳から2年間在籍した氏だから描ける臨場感と確かな考証が、卓越した文章をさらに魅力あるものにしています。目の前に海霧に覆われた北千島の情景が浮かび、人物造形が深く掘り下げられて飽きさせない、浅田次郎戦争物です。

読書日記9「中原の虹」三巻

寒い一日でした。日がな、読書していました。

中原の虹 第三巻中原の虹 第三巻

浅田 次郎


1908年、西太后と光緒帝が同日ほぼ同時刻に亡くなり、3年後、1911年、孫文は三民主義を唱えて武昌で革命蜂起して、北京・天津を含む都のある直隷省とその周辺のみを残して革命政府が樹立する。北京の幼帝溥儀の父の醇(じゅん)親王(光緒帝の弟)が摂政だけれど、三方を国民党軍に囲まれ、万里の長城を超えた満州東北三県は張作霖の膝下に入る。四面楚歌のなか、故郷の河南省項城に一度は隠遁した傑物・袁世凱将軍を復権させて北洋陸軍の指揮を委ねて、弱小皇族政権の延命を託すが・・袁世凱は内閣を組閣した後、1916年皇帝即位し、国民の反感で退位して憤死!憎めない処のある傑物です。

光緒24年1998年、戊戌変法(ぼじゅつのへんぽう)で、失敗し亡命した梁文秀は日本で早稲田の講師を務め、学者として逼塞して暮らすが、そこに軍学校に留学し高田連隊に勤務した蒋介石が訪ねてきて、戊戌変法の気概に触れ、帰国後は救国済民の為に戦うと、文秀の手を握り気を貰う・すなわち、中国の気功です。

「大切にしてください。君が革命の動力とするこの志は、私のものではありません。亡き光緒陛下の大御心です。」革命家に清朝変法派が語る愛国の思い・・
「是シイ、遵命ソンミン、かしこまりました!」

孫文の後を担う江南の蒋介石は、のちに北伐を行い、江北と直隷省を統べる北京政府の満州馬族・張作霖と睨みあう。天命を持ちながら、内戦を避け満州に帰った張作霖は、国を植民地化させずに列強から守り抜いた、民衆に慕われた英傑で、その張作霖爆破事件が歴史を大きく揺さぶっていくのは必定と思えます。


プロフィール

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Author:imagica
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趣味 散歩と文楽と歌舞伎
文楽歌舞伎狂言の非日常性に昇華された人間性を感じます。日々のつれづれを 舞台に投影したり政治に絡めたりして書いています。

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